京都産業大学同窓会島根県支部
             

島根県支部について

支部役員名簿
役  職 氏 名 卒業年度
地 区
支 部 長
   平野 裕二    53 B
出 雲
副支部長    小坂 久宗    50 J
益 田
副支部長    嘉藤   彰    51 J
斐 川
副支部長    安部 弘久    55 J
松 江
顧   問    原   文男    46 E
出 雲
顧   問    坂根 悦夫    48 B
出 雲
監   事    伊藤 博人    49 E
出 雲
幹   事    石倉 敬久    54 E
出 雲
会   計    烏田 博好    48 E
出 雲
地区理事    田中 富雄    51 B
大 社
地区理事    越野 征俊    52LC
八 束
地区理事    森脇 芳樹    52 J
江 津
地区理事    佐貫   弘    53 J
出 雲
地区理事    木原 元和    58 J
益 田
(兼)事務局長    嘉藤   彰    51 J
斐 川

    同窓生からのメッセージ                   

昭和五十年度 法学部卒     小坂久宗

1992 年建材メーカーウッドワン(当時は住建産業)のニュージーランド視察旅行があった。国際入札で国有林を落札しラジアータパインという非常に成長の早い木材を加工する工場建設がはじまっていた。当時社員であった私は、マスタートン、ギスボンと途中観光を入れながら新工場、及び森林を見て回った。とても日本語の上手なバスガイドさんと共に、ガイドさんと一緒に混浴に入ったり(といってもニュージーランドの温泉は水着が必要)かなり親しくなり日本語が上手な理由を聞いてみた。日本に留学していたとのこと、それも京都産業大学と云うではないか。数千・離れた異国の地に、大学の後輩がいた。たまたま社員で京産の先輩も同行していて、盛り上がった。いまでもなつかしく思い出される光景である。その広島のウッドワンを 24年間勤め、現在は生まれ故郷の島根に帰り、住宅建等の仕事をしています。当然ウッドワンの建材を使うことが多くサンプルを見る度に、ニュージーランドの光景を6万8000haの森林を思い出す。京都産業大学とミュージーランド 不思議に縁を感じながらなつかしさを覚える今日この頃です。


昭和五十二年度 法学部卒     嘉藤 彰
趣味ということ
 
いまをときめくテノール歌手、錦織健とそっくりな顔をした親父さんは私の中学時代の恩師です。その錦織先生がよく口にしていたのが「若いときから一生続けられる趣味を持ちなさい」という話でした。現役をリタイヤしてから趣味を持っても、それは浅いものでしかならないだろうしmそれでは面白くないだろとのことです。
今まではこのようなことを考えもしなかったのですが、定年退職まで十年を切る年齢になり、思い出すようになりました。
  幸い私は恩師に恵まれ、小学校では亡稲田先生に出来たばかりの鼓笛隊に選ばれ、中学での吹奏楽部は前途の錦織先生が顧問となっておりました。高校在学時に本格的な合唱の楽しさを教えてくれたのが、現在私が所属している男声合唱団の指揮者である米山先生でした。
  その後大学でも合唱を楽しみ、就職と同時に創立された「男声合唱団フライクンスト」に参加でき、またつかず離れず活動してきたことは今では生活の一部ともなっています。
  コンクールの舞台でのしびれるような緊張感や、ピタッとハーモニーが決まった時の倍音の響きを聞いたときなど、これは一生続けてもいいなと思える瞬間です。
  私の場合は趣味の世界に留まっていますが、子供達が教師から受ける影響は、時には一生の仕事を左右する場面もあるだろうなあとつくづく思います。
  まあ今は退職後の自分を思い描いて、とりあえず仕事にがんばらなくては!大学同窓会活動も変わらずがんばります。どうぞよろしく。



昭和五十三年度 外国語学部卒     金築 勤

  同窓生の皆様いかがお過ごしでしょうか。各方面でご活躍のことと思います。私が大学を卒業してあっという間に 28 年の時が経ってしまいましたが、今でも仲間と過ごした学生生活が昨日の事のように思い出されます。
  現在私は島根県大田市で”メガネの三城大田店”というメガネの小売店をフランチャイズ経営しております。それは大学 4回生の春、本学の就職課で就職先を探していたときのことです。卒業したら島根に帰るという約束を親としてましたので、県下の企業の情報を探していたのですがなかなか見つかりません。困っていたときに当時本学の就職課次長だった富(とみ)さんという方に紹介していただいたのがメガネの三城という会社でした。その頃島根に三城の店舗はまだなかったのですが、全国展開構想をしていることをご存知だったようで、すぐに人事担当者に連絡を取り会社訪問の手配をして下さいました。その後入社試験を経て内定に至りましたが、この間の経緯のレポートを富次長に頼まれ、就職課の機関誌に掲載されたことを覚えています。
  1979年(昭和54年)の春に入社し、島根県内の店舗を中心に20年間お世話になった後に1999年6月にこの会社ののれん分け型フランチャイジーとして独立、今年で8年になります。
  メガネ屋というのは小売業でありながら、お一人おひとりで違うお客様の眼とお顔と使用環境に合わせてメガネを”創り上げる”という結構奥深い仕事です。ぴったりのメガネをお合わせしたときのお客様の喜ばれるお顔を見るのが嬉しくて、それが自分の仕事に対するモチベーションになっていつの間にか 28年経っていました。こんな仕事に出会えたのは、元はと言えば京都産業大学と富次長のお蔭と、この手記を書きながら改めて感謝しております。
  ところで大学時代の学生証番号を覚えておられますか。実は私はこの番号を今でもパスワードやメールアドレスなどに使用しております。考えてみると、大学は自分の中ではかなり大きな部分を占めているようです。
  同窓会島根支部の総会にもここ何年か続けて参加させていただいておりますし、出雲駅伝を応援したあとの選手たちとの交流会も毎年楽しみにしています。この会でもっと多くの同窓生の方々とお会いしたいと思っております。まだ出られておられない方は是非ご参加ください。




平成十三年度 経済学部学部 経済科卒      角森一馬(出雲市)

 私は2006年の 7月、結婚を機に大学時代を含め8年間過ごした京都から10年ぶりに帰郷いたしました。故郷を離れていた10年間は大きく、大学時代を懐かしく思い浮かべながら今、この地に慣れる努力をしているところです。
  今年 1月には、長男 建(たける)が誕生し、子どもの可愛さに無上の喜びを感じながらも親として責任をひしひしと感じるこの頃です。
  去年の 10月京産大島根支部総会において坂井学長の講演をお聞きする機会に恵まれました。大きな夢をもって帰郷したものの希望と不安の行きかう毎日を送っていた私に、坂井学長は「人生、何事も挑戦しなければ、成功も失敗もない。失敗をおそれて何もしないというのが、人間そもそもの失敗である」と大きな勇気と力をくださいました。
  そして長年温めてきた「居酒屋」オープンの夢に向かって、失敗を恐れず、京産魂を胸に何事にも果敢に挑戦していきたいと心を強くいたしました。
  現在、夢を実現すべく日々努力を積み重ねている所ですので、同窓生の皆様のご指導、ご支援を宜しくお願いいたします。オープンの折りにはぜひ、ご利用くださいますようお願いいたします。


平成 十七年度 理学部数学科卒     

 京都産業大学理学部数学科を平成17年に卒業後、京都市内にある私立高校で数学非常勤講師として半年間勤務した後に、青年海外協力隊理数科教師として西アフリカのガーナ共和国に赴任しました。
初めの1年間はセントラル州にあるアゴナスウェドル教育事務所にて、現地の中学校数学教師の能力向上を目的として授業を見学してその授業に対してアドバイスをすることが私の仕事でした。初めは外国か ら来たお客さんのような扱いを受けていたので、上手く仕事相手としてコミュニケーションがとれていませんでした。良い関係を築いていくために無理に仕事の話をせずに相手の話を聞いたり、厳しいことを言わずになるべく相手のことを褒めるようにしました。仕事を始めて3か月くらいが経過してからは、外国人という壁が少しずつ取れていきました。近所や町にも友達ができて、プライベートでも楽しんでいけるようになりました。上は現地の先生が数学の授業を行っているところです。

 

 

 

 


左:ガーナ人はいつも頭の上に荷物をのせて運びます。
上:運が良ければカメレオンが見られます。

 

ガーナで一番良いと思ったのはやっぱり子供。人懐っこさは誰でも嬉しく感じるはず。子供たちに何度も元気づけてもらいました。ガーナの子供は小さい時から家のお手伝いをよくします。5人以上の兄弟がいることがほとんどなので、子供が料理、洗濯、掃除をして両親は寝ているという光景をよく目にしました。ガーナの子供は働き者でとても感心しました。ガーナに来て1年後にジャシカン教員養成校に赴任しました。日本にある教育大学と同じで将来の先生を育てる大学で、数学とコンピュータの授業を担当しました。1日平均5時間の授業があり、大変でしたが、全寮制の学校だったので生徒と同じ給食を食べることができたので、生活は前より楽になりました。

左の写真は、2年生が模擬授業を行っているところです。この学校では3年生になると1年間の教育実習に行きます。そのため2年生から教育実習に行くために授業の練習をします。他の生徒は小中学生の役をしています。私も席に座って授業を見学して、終了後にアドバイスします。中には間違ったことを教えていることもあるので、集中して聞かなければなりません。しかし生徒は一生懸命なので、その必死さが見ていて楽しかったです。


右の写真が3年生の教育実習の様子です。生徒は中学2年生で、青いシャツを着ているのが私の生徒です。教育実習といっても日本とは違って、先生の業務をすべて行います。中には教育実習生にほとんどの授業をやらせていて、本当の先生は休憩中なんてことも…。そのため実習生は毎日が大変で、ヘトヘトになっています。



次の写真はコンピュータの授業風景です。十数台のパソコンがありますが、ほとんどが故障していたために始めは修理ばかりしていました。なんとか直せたのは5台でした。ほとんどの生徒がパソコンを触ったこともないため、マウスの持ち方や電源の入れ方などの指導から始めます。もちろんインターネットには接続していません。E-mailを送りたいときは車で3時間の町に行けば送ることができます。 ガーナの学校でも日本と同じように長期休みがあります。その間は仕事が少ないために、他の日本人ボランティアと一緒に様々なイベントを企画しました。

 

 

 




2枚の写真は80人の生徒を招待して実験授業中心のサマースクールの様子です。左は粉じん爆発の実験、上はペットボトル噴水作りの写真です。いろいろな地域から生徒が集まって5日間様々な授業を受けました。ガーナでは備品不足や知識不足から理数科の授業で実験を行う機会がとても少ないため、生徒たちは始めて見るものばかりでとても興味津々でした。

左の写真は、パソコンの設備が整っていない学校で、パソコンを使用したことのない生徒を対象とした出張型コンピュータ教室の様子です。1週間で3,4校を訪問して2時間の授業を午前と午後の2回行います。ワードを使って自分の名前を入力してデジカメで撮影した写真を添付、そして印刷をします。自分の写真を印刷したら生徒はもう興奮状態です。

ガーナにおいて経験したことは、日本では得られないものばかりでした。水が出ない、停電が毎日、モノがない、無い無い無い!!ばかりの生活でしたが、人の優しさ、生き抜く力は素晴らしいと感じるばかりでした。毎日笑顔と元気を届けてくれた、生徒たち、同僚、近所のおばちゃん、子供たちに感謝いっぱいです。


平成 十八年度 経営学部卒      吉原佳意

 学生時代は加茂川で散歩したり図書館で本を読んだり夢に向かって勉強してみたりと本当に充実した 4年間を過ごすことが出来ました。さて、今の私はというと、故郷の島根に帰って銀行員として社会人生活を送って今宇s。まだまだ一年目で慣れないことや戸惑うことももちろんあります。それでも周りの人々に支えられながら本当に充実した日々を送っています。初めて社会にでてみて全てが楽しいことばかりじゃないですが、それでも良かったなと思うことはやっぱり島根に帰ってきたことだと思います。生まれ育ったところで仕事が出来て家族がいて家に帰れば食事も作ってあります。京都で生活することによって島根の良さを改めて感じることが出来たような気がします。これから大学で身に付けたことを社会のあらゆる場面で活かしていきたいと思っています。

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